幕末、薩長によっての江戸城明け渡しの折り、3ヶ所にあったといわれる軍用金は全部空であった。史上に明確にされている。
これらの軍用金(金財宝)は、井伊直弼(大老)、小栗上野介(勘定奉行)、及び林鶴梁(軍学者)3人によって、埋蔵金の計画が立てられ、埋蔵されたのである。
その埋蔵工事の総指揮者は小栗上野介の家臣、多田徳次郎(後に、多田外記と称した)であり、又、外記は小栗上野介の孫、秀守の付け人(育ての親)であった。
多田外記は、秀守26歳のとき、秀守に徳川幕府の埋蔵金の事実を打ち明
けた。外記によると、埋蔵金は山梨の増穂つきよねに埋めたと言うことである。
埋蔵工事に関して千数百人の犠牲者をだしたと言われています。又、昭和10年には犠牲者の遺骨が多数発掘された事実もあります。
多田外記が埋蔵金を掘り出し、その資金で犠牲者の霊を供養してほしい、又、後生の人の為に役立つことに使ってほしいと遺言を残したのである。
多田外記は秀守を埋蔵現場に連れて行き、埋蔵場所を示した。又、どの様に埋められたか説明した。今より凡そ100年以上前のことである。
秀守の子、河原次郎は、父親の命を受け、およそ30数年前から発掘に取り組んだが、埋蔵場所が明確に示されず、埋蔵金の発見に至らなかったが、平成11年に或る場所をボーリングした時、地下75米の所より法馬金の金屑が掘り出されたと言われています。この場所の発掘は、以後、種々の理由で今日に至っています。
今、平成21年4月1日をもって、この場所の発掘に取り組みました。
これまでの、史実、資料、物的証拠、言い伝え等より今我々が発掘調査している場所に、徳川幕府の埋蔵金が埋蔵されていることは間違いないと確信しております。
埋蔵金発掘の暁には、その財宝は、国、府、市、町村の人々の為、またこれまでに発掘を行い、実りを見なかった人々に慰労も出来ます。
また、この埋蔵金に携わった多数の犠牲者の霊の供養も出来ます。犠牲者の霊の供養こそ、多田外記が殿小栗上野介の孫、秀守に宛てた遺言書の骨子であります。
直工事総指揮社は滑ロ義ボーリングであり、後、数箇所のボーリングで法馬金の所在を突き止める所まで来ています。
弦巻 壮一郎
平成21年7月22日 |